Email-マルクス・アウレリウス

誰かがわたしを軽蔑している。それは、わたしを軽蔑している彼らの問題だ。私の問題は…

誰かがわたしを軽蔑している。それは、わたしを軽蔑している彼らの問題だ。私の問題は、卑しいことをしたり言ったりしないこと。誰かがわたしを憎んでいる。それもわたしを憎んでいる彼らの問題だ。私の問題は、彼らを含めて誰に対しても忍耐強く、陽気でいること。そして、彼らの間違いを示す準備をしておくことだ。意地悪くではなく、自分の自制心を誇示するようにでもなく、誠実で正直な方法で。ーマルクス・アウレリウス『自省録』

Someone despises me. That’s their problem. Mine: not to do or say anything despicable. Someone hates me. Their problem. Mine: to be patient and cheerful with everyone, including them. Ready to show them their mistake. Not spitefully, or to show off my own self-control, but in an honest, upright way. – Meditations: Marcus Aurelius

リーダーとして日々難しい舵取りを強いられてきたマルクス・アウレリウスらしい、率直で実感のこもった言葉です。

私たちは時に他人からの批判や軽蔑、憎しみに直面することがありますが、そんな時、あなたはどのように反応していますか?

「誰かがわたしを軽蔑している。それは、わたしを軽蔑している彼らの問題だ。」マルクス・アウレリウスは、他人の評価に振り回されないことの重要性を語っています。

ここには、ストア派哲学の基本的な教えの一つであり、エピクテトスが強調した「コントロールの二分法」の考え方が示されています。これは、自分の力でコントロールできること(自分の判断や行動)と、コントロールできないこと(他人の行動や外部の出来事)を明確に区別することを意味します。

他人の意見や態度は、その人自身の内面や経験の反映であり、必ずしもあなたの真の姿を表すものではありません。

さらに、マルクス・アウレリウスは続けます。「私の問題は、卑しいことをしたり言ったりしないこと。」

この言葉は、他人の態度に左右されることなく、自分の品格を保つことに集中すべきだというメッセージです。

「誰かがわたしを憎んでいる。それもわたしを憎んでいる彼らの問題だ。」

他人の憎しみは、その人自身の内面の問題であり、あなたの価値を決めるものではありません。

「私の問題は、彼らを含めて誰に対しても忍耐強く、陽気でいること。」

他人の否定的な態度に対して、忍耐と陽気さで応じることは、自分自身の内面の強さを示すことになります。次に、他者の誤解や間違いを正す準備について触れています。

「そして、彼らの間違いを示す準備をしておくことだ。意地悪くではなく、自分の自制心を誇示するようにでもなく、誠実で正直な方法で。」

これらを全うしていくのは、リーダーとして非常に難しいことだと思います。マルクス・アウレリウスも、日々これらを自分に言い聞かせながら過ごしていたのです。

誰かの批判や軽蔑に遭遇したとき、それを個人的な攻撃として受け止めるのではなく、自分の内面の強さを示す機会として捉えてみませんか?マルクス・アウレリウスの教えは、私たちが見失いがちな、誠実で賢明な方法を見せてくれているのです。

参考文献

マルクス・アウレリウスとは?

121年4月26日、ローマの地に誕生したマルクス・アウレリウスは、後にローマ帝国の第16代皇帝となり、善政を行った五賢帝の最後の皇帝として名を馳せます。現代の我々から見ると、彼は優れたリーダーシップと深い自己省察を兼ね備えた稀有な存在です。彼が残した『自省録』は、戦場や宮廷の喧騒の中にありながら、自身のストア哲学実践のために綴られ続けたものです。その思想と行動を、後に多くの歴史上の偉人やリーダーたちが手本とした人物としても広く知られています。

 

あなたは朝派?夜派?

あなたのジャーナリングの時間は朝ですか?夜ですか?私は起きてすぐの、早朝派です。思考に雑念が入り込む前の、澄んだ意識の状態を狙って書き始めると、ペンがよく走ります。

ただ私の場合、寝起きのコンディションによってペンの重さが変わります。眠りの質が悪く、憂鬱な気分で目覚めたり、悪い夢の途中だったりすると、集中できる状態になるまで少し時間がかかります。寝起きのコンディションがジャーナリングに影響を与えてしまうんです。

しかし…哲人皇帝マルクス・アウレリウスなら、こんな弱々しい言葉は決して口にしなかったでしょう。彼は10代の頃、哲学に傾倒し始めると、粗末な哲学者風の衣服で過ごし始め、さらにギリシア的鍛錬法を実践。母親から注意されるまでベッドではなく地面で寝ていたといいます。地面です!私は地面で眠ることはできませんが、ストア派の教えを生活に活かすため、ジャーナリングによる自己省察の時間を少しでも充実させようと、、ベッドのマットを新調しました。目覚めの状態が良くなり、ペンの走りは快調です。哲人たちには物足りないと言われそうですが、これも私なりのストア派の実践です。