『彼は奴隷だ』と言うかもしれない。しかし、彼の魂は自由人のものかもしれない。奴隷でない者がいたら姿を見せてくれ。あるものは肉欲、あるものは強欲、またあるものは野心の奴隷であり、そしてすべての者が恐怖の奴隷である。元老院議員でありながら老婆の奴隷となっている者の、大金持ちでありながら下女の奴隷となっている者の、その名を挙げようぞ。さらには、最も高貴な生まれの若者たちが、パントマイム俳優の奴隷となっているのをお見せしようか。自ら進んで奴隷となるほど恥ずべきものはない。- セネカ『倫理書簡集』
“He is a slave.” His soul, however, may be that of a freeman. Show me a man who is not a slave; one is a slave to lust, another to greed, another to ambition, and all men are slaves to fear. I will name you an ex-consul who is slave to an old hag, a millionaire who is slave to a serving-maid; I will show you youths of the noblest birth in serfdom to pantomime players! No servitude is more disgraceful than that which is self-imposed. – Moral Letters to Lucilius: Seneca
セネカは私たちに問いかけています。「あなたは本当に自由ですか?」と。
私たちは往々にして、自分は自由だと思い込んでいます。では、ここで自分自身を見つめてみてください。あなたは何かの奴隷になっていませんか?
肉欲の奴隷、強欲の奴隷、野心の奴隷、あるいは恐怖の奴隷。セネカは、これらの内なる奴隷性こそが、真の束縛だと教えてくれています。社会的地位や富は、必ずしも自由を意味しないのです。
元老院議員が老婆の奴隷となり、大金持ちが下女の奴隷となる。これは単なる比喩ではなく、私たちの周りで実際に起こっていることかもしれません。現代では、SNSを通して他人からの評価に依存してしまうことも同じです。例えば、「いいね!」の数に一喜一憂したり、フォロワー数に執着したりすることで、知らず知らずのうちに自分の価値を他人の反応に委ねてしまっています。
そして最も痛烈な指摘が、「自ら進んで奴隷となる」ことへの批判です。現代社会では、流行や社会的期待に無批判に従うことで、自らの意志や価値観を放棄し、自由を手放しているのかもしれません。例えば、本当は必要でないものを「みんなが持っているから」と購入したり、自分の興味とは関係のない情報に常に追われたりすることも、一種の自発的な隷属と言えるでしょう。
私たちは知らず知らずのうちに、自分で自分の首に鎖をかけていないか、確かめてみるべきです。
- あなたの行動や決断は、本当に自由な意志によるものですか?
- 社会の期待、他人の評価、あるいは自分の欲望や恐れに縛られていませんか?
- あなたが「しなければならない」と思っていることの中に、実は自ら課した束縛はありませんか?
セネカは、真の自由は外的な状況ではなく、内なる態度にあると教えています。たとえ社会的に「奴隷」と呼ばれる立場にあっても、その人の魂は自由でありうるのです。
自分の欲望や恐れを見つめ直し、それらに支配されるのではなく、理性と意志で自分の人生を導いていく。それこそが、セネカが私たちに示す真の自由への道です。自由な魂を持つことは、決して容易ではありません。しかし、それは可能です。そして、その努力こそが、私たちに自分の人生を歩ませてくれるのです。
セネカは紀元前4年頃、現在のスペインにあたるコルドバで生まれ、ローマ帝国の哲学者、政治家、劇作家として名を馳せました。ストア派哲学の代表的思想家でありながら、大資産家として富を築き、若い皇帝ネロの家庭教師を務め、権力の中枢にまで上り詰めました。この生き方は、しばしばストア哲学との矛盾を批判されました。しかし、実はそこに現代を生きる我々への大いなるヒントが秘められています。『人生の短さについて』や『怒りについて』など、彼の著作は今なお広く読まれ、富を手にしながら自分を見失うことなく、幸せと自由を追求する術を与えてくれます。