「キュウリが苦い?」捨ててしまえばいい。「道にイバラが生えている?」迂回すればいい。それだけ知っていれば十分なのだ。それ以上は必要ない。『なぜ、こんなものがここに?』などと知りたがるな。- マルクス・アウレリウス『自省録』
The cucumber is bitter? Then throw it out. There are brambles in the path? Then go around them. That’s all you need to know. Nothing more. Don’t demand to know “why such things exist.” – Meditations: Marcus Aurelius
人生には様々な障害や不快な出来事が待ち受けています。しかし、それらに対する私たちの態度こそが重要です。苦いキュウリがあったら、それを無理に食べる必要はありません。単純に捨ててしまえばいいのです。道にイバラが生えていたら、それを無理に取り除こうとせず、迂回すればいいのです。
この教えは、日々の生活で直面する問題に対する実践的なアプローチを示しています。私たちは往々にして、問題の存在理由を深く考えすぎたり、それを変えようと無駄な努力をしたりしがちです。
特に、思い入れのあるプロジェクトや長い時間をかけて苦労してきたものに対して、「なぜこんなことが起こるのか」と執着してしまうこともあるでしょう。
マルクス・アウレリウスは、物事を前進させるために、複雑な思考や行動は邪魔になると自らに語りかけています。重要なのは、問題に対してシンプルで直接的に対処することです。自分でコントロールできないことには執着せず、自分の行動や態度に焦点を当てることが大切です。
「なぜこんなことが起こるのか」と悩むのではなく、「どうすれば前に進めるか」を考えるために「コントロールの二分法」が役に立ちます。自分の力でコントロールできること(自分の判断や行動)と、コントロールできないこと(他人の行動や外部の出来事)を明確に区別するのです。こうすることで、無駄なストレスや不安を避け、効果的にエネルギーを使うことができるようになります。
この姿勢は、より効果的に日々の課題に対処する力を与えてくれるでしょう。目の前の現実に集中し、何とかしようと努力することが成功への道なのです。疑問を挟む時間は無駄だと、マルクス・アウレリウスは言っているのです。
彼の教えは、2000年以上前のものですが、現代社会を生きる私たちにも深い示唆を与えてくれます。シンプルに考え、実践的に行動することは、人生の様々な困難を乗り越えるための優れた方法なのです。
121年4月26日、ローマの地に誕生したマルクス・アウレリウスは、後にローマ帝国の第16代皇帝となり、善政を行った五賢帝の最後の皇帝として名を馳せます。現代の我々から見ると、彼は優れたリーダーシップと深い自己省察を兼ね備えた稀有な存在です。彼が残した『自省録』は、戦場や宮廷の喧騒の中にありながら、自身のストア哲学実践のために綴られ続けたものです。その思想と行動を、後に多くの歴史上の偉人やリーダーたちが手本とした人物としても広く知られています。
あなたは朝派?夜派?
あなたのジャーナリングの時間は朝ですか?夜ですか?私は起きてすぐの、早朝派です。思考に雑念が入り込む前の、澄んだ意識の状態を狙って書き始めると、ペンがよく走ります。
ただ私の場合、寝起きのコンディションによってペンの重さが変わります。眠りの質が悪く、憂鬱な気分で目覚めたり、悪い夢の途中だったりすると、集中できる状態になるまで少し時間がかかります。寝起きのコンディションがジャーナリングに影響を与えてしまうんです。
しかし…哲人皇帝マルクス・アウレリウスなら、こんな弱々しい言葉は決して口にしなかったでしょう。彼は10代の頃、哲学に傾倒し始めると、粗末な哲学者風の衣服で過ごし始め、さらにギリシア的鍛錬法を実践。母親から注意されるまでベッドではなく地面で寝ていたといいます。地面です!私は地面で眠ることはできませんが、ストア派の教えを生活に活かすため、ジャーナリングによる自己省察の時間を少しでも充実させようと、、ベッドのマットを新調しました。目覚めの状態が良くなり、ペンの走りは快調です。哲人たちには物足りないと言われそうですが、これも私なりのストア派の実践です。