完璧な人格であることとは、取り乱さず、怠惰にもならず、偽善に陥ることもなしに、1日1日を最後の日であるかのように送ることである。- マルクス・アウレリウス『自省録』
Perfection of character: to live your last day, every day, without frenzy, or sloth, or pretense. – Meditations: Marcus Aurelius
この言葉の前後で、マルクス・アウレリウスは厳しい言葉を自分に投げかけ続けています。ここでの「完璧な人格」とは、少なくともこうであれ、と自分に言い聞かせているものかもしれません。
「取り乱さず、怠惰にもならず、偽善に陥ることもなしに、1日1日を最後の日であるかのように送ること。」確かに、これはストア派の哲学の基本である一方、実践が時に困難になることもあります。そのことを理解しているからこそ、マルクス・アウレリウスは、実践におぼつかない自分を叱咤激励しているかのように思えます。
では、私たちはどうでしょうか。怠惰に流されることなく、意識的に毎日を過ごし、小さな努力を積み重ねることによって、やがて大きな成果が生まれる…このことを知っていても、行動が伴わない時はないでしょうか。
当時のストア派の人々も、完璧な人間になることが簡単だとは考えていなかったはずです。それでも毎日時間をとって考え、少しでもその目標に近づこうと誓いを立て続けました。その繰り返される毎日の行動に意味があったのです。
ストア哲学を実践していく毎日が、人生の確かな手応えを与え、幸せと本当の自由に向かっている自分を心象に映し出したのではないでしょうか。
ストア派の教えをすべて実現できなかったとしても、人生を諦める必要はありません。マルクス・アウレリウスがそうであったように、私たちにとっても、実践を続けることこそが、幸せと自由へと続く道なのです。
121年4月26日、ローマの地に誕生したマルクス・アウレリウスは、後にローマ帝国の第16代皇帝となり、善政を行った五賢帝の最後の皇帝として名を馳せます。現代の我々から見ると、彼は優れたリーダーシップと深い自己省察を兼ね備えた稀有な存在です。彼が残した『自省録』は、戦場や宮廷の喧騒の中にありながら、自身のストア哲学実践のために綴られ続けたものです。その思想と行動を、後に多くの歴史上の偉人やリーダーたちが手本とした人物としても広く知られています。
あなたは朝派?夜派?
あなたのジャーナリングの時間は朝ですか?夜ですか?私は起きてすぐの、早朝派です。思考に雑念が入り込む前の、澄んだ意識の状態を狙って書き始めると、ペンがよく走ります。
ただ私の場合、寝起きのコンディションによってペンの重さが変わります。眠りの質が悪く、憂鬱な気分で目覚めたり、悪い夢の途中だったりすると、集中できる状態になるまで少し時間がかかります。寝起きのコンディションがジャーナリングに影響を与えてしまうんです。
しかし…哲人皇帝マルクス・アウレリウスなら、こんな弱々しい言葉は決して口にしなかったでしょう。彼は10代の頃、哲学に傾倒し始めると、粗末な哲学者風の衣服で過ごし始め、さらにギリシア的鍛錬法を実践。母親から注意されるまでベッドではなく地面で寝ていたといいます。地面です!私は地面で眠ることはできませんが、ストア派の教えを生活に活かすため、ジャーナリングによる自己省察の時間を少しでも充実させようと、、ベッドのマットを新調しました。目覚めの状態が良くなり、ペンの走りは快調です。哲人たちには物足りないと言われそうですが、これも私なりのストア派の実践です。