肉料理やその類の食べ物を目の前にして、 突然気がつくのだ。これは死んだ魚だ、死んだ鳥だ、死んだ豚だ、と。あるいは、この高貴なヴィンテージワインはブドウをしぼった汁であり、格式ある紫の衣は貝の血で染めた羊毛だ。また、性行為ー何かがあなたの陰茎を摩擦し、短い痙攣があり、少量の濁った液体が出る。このような認識—しっかり捉え、鋭く見抜くことで、我々は物事の本質を見ることができる。
それが、常に我々が行うべきことだ—人生を通し、我々にその価値を認めるよう求めてくるものがあるときには、それらを裸にしてその無意味さを見抜き、それを取り巻く伝説を剥ぎ取るのだ。- マルクス・アウレリウス『自省録』
Like seeing roasted meat and other dishes in front of you and suddenly realizing: This is a dead fish. A dead bird. A dead pig. Or that this noble vintage is grape juice, and the purple robes are sheep wool dyed with shellfish blood. Or making love—something rubbing against your penis, a brief seizure and a little cloudy liquid. Perceptions like that—latching onto things and piercing through them, so we see what they really are.
That’s what we need to do all the time—all through our lives when things lay claim to our trust—to lay them bare and see how pointless they are, to strip away the legend that encrusts them. – Meditations: Marcus Aurelius
私たちは普段、物事の表面的な姿や社会的な価値にとらわれがちです。
高級料理、ブランド品、社会的地位、性的快楽—これらは往々にして私たちの欲望や憧れの対象となります。
マルクス・アウレリウスは私たちに問いかけます。その本質を見抜いているか、と。
豪華な料理も、つまるところ動物の死骸にすぎません。高価なワインも、ブドウの絞り汁です。憧れの衣装も、染められた羊毛にすぎません。性行為も、生物学的な現象にすぎないのです。
これは単に物事を卑下せよという教えではありません。むしろ、物事の真の姿を見抜く力を持つことの大切さを説いているのです。私たちの持つ価値観や欲望の多くは、社会や文化によって作られた「伝説」に過ぎないかもしれません。
マルクス・アウレリウスは、私たちに洞察力を磨くよう促します。人生において何かに価値を見出そうとするとき、まずその本質を見極めよ、と。
この教えは、現代を生きる私たちにも大きな示唆を与えます。SNSで溢れる情報、広告、社会的プレッシャー—これらに惑わされることなく、物事の本質を見抜く力を養うことが、より自由で充実した人生につながるのです。
身の回りの物事を新たな目で見つめ直してください。なぜそれに価値を見出しているのか、自問自答してください。
マルクス・アウレリウスは、2000年の時を超えて、人生に必要不可欠な客観性を授けてくれているのです。
121年4月26日、ローマの地に誕生したマルクス・アウレリウスは、後にローマ帝国の第16代皇帝となり、善政を行った五賢帝の最後の皇帝として名を馳せます。現代の我々から見ると、彼は優れたリーダーシップと深い自己省察を兼ね備えた稀有な存在です。彼が残した『自省録』は、戦場や宮廷の喧騒の中にありながら、自身のストア哲学実践のために綴られ続けたものです。その思想と行動を、後に多くの歴史上の偉人やリーダーたちが手本とした人物としても広く知られています。
あなたは朝派?夜派?
あなたのジャーナリングの時間は朝ですか?夜ですか?私は起きてすぐの、早朝派です。思考に雑念が入り込む前の、澄んだ意識の状態を狙って書き始めると、ペンがよく走ります。
ただ私の場合、寝起きのコンディションによってペンの重さが変わります。眠りの質が悪く、憂鬱な気分で目覚めたり、悪い夢の途中だったりすると、集中できる状態になるまで少し時間がかかります。寝起きのコンディションがジャーナリングに影響を与えてしまうんです。
しかし…哲人皇帝マルクス・アウレリウスなら、こんな弱々しい言葉は決して口にしなかったでしょう。彼は10代の頃、哲学に傾倒し始めると、粗末な哲学者風の衣服で過ごし始め、さらにギリシア的鍛錬法を実践。母親から注意されるまでベッドではなく地面で寝ていたといいます。地面です!私は地面で眠ることはできませんが、ストア派の教えを生活に活かすため、ジャーナリングによる自己省察の時間を少しでも充実させようと、、ベッドのマットを新調しました。目覚めの状態が良くなり、ペンの走りは快調です。哲人たちには物足りないと言われそうですが、これも私なりのストア派の実践です。