これ以上さまよい歩くな。君が老後のために取っておいた、『論評の要約』や『古代ギリシアとローマの偉業』、格言集を再び読むことはないだろう。最期へ向かって全力で進め。もし自らの幸福が大切ならば、希望的な考えを捨て、自分自身の救済者となるのだ。- マルクス・アウレリウス『自省録』
Stop drifting. You’re not going to re-read your Brief Comments, your Deeds of the Ancient Greeks and Romans, the commonplace books you saved for your old age. Sprint for the finish. Write off your hopes, and if your well-being matters to you, be your own saviour while you can. – Meditations: Marcus Aurelius
私たちは往々にして、将来のために知識を蓄え、経験を積むことに執着しがちです。しかし、マルクス・アウレリウスは、そういった蓄積が必ずしも人生の本質的な価値をもたらすものではないと、自分へ向けて語りかけています。
「これ以上さまよい歩くな。」この言葉は、あれこれ本を読み、学んでいれば、よりよい人生が手に入るのではないかと迷走する私たちへの警鐘でもあります。
「君が老後のために取っておいた、『論評の要約』や『古代ギリシアとローマの偉業』、格言集を再び読むことはないだろう。」この言葉は、私たちが将来のために取っておいた知識や経験が、実際には役立たないかもしれないという現実を突きつけています。
では、私たちは何をすべきなのでしょうか。「最期へ向かって全力で進め。」マルクス・アウレリウスは、今この瞬間に全力を注ぐことの重要性を説いています。人生は有限であり、私たちには時間がありません。今、この瞬間に最善を尽くすことこそが、真に価値ある人生を送る方法なのです。
「もし自らの幸福が大切ならば、希望的な考えを捨て、自分自身の救済者となるのだ。」この言葉は、他人の知恵や外部の力に頼るのではなく、自分で自分をコントロールし、自ら人生を切り開いていく勇気が必要であることを示しています。
マルクス・アウレリウスは、人生の最後の最後まで、本や知識に溺れることなく、行動を起こさなければならないと言っているのです。
121年4月26日、ローマの地に誕生したマルクス・アウレリウスは、後にローマ帝国の第16代皇帝となり、善政を行った五賢帝の最後の皇帝として名を馳せます。現代の我々から見ると、彼は優れたリーダーシップと深い自己省察を兼ね備えた稀有な存在です。彼が残した『自省録』は、戦場や宮廷の喧騒の中にありながら、自身のストア哲学実践のために綴られ続けたものです。その思想と行動を、後に多くの歴史上の偉人やリーダーたちが手本とした人物としても広く知られています。
あなたは朝派?夜派?
あなたのジャーナリングの時間は朝ですか?夜ですか?私は起きてすぐの、早朝派です。思考に雑念が入り込む前の、澄んだ意識の状態を狙って書き始めると、ペンがよく走ります。
ただ私の場合、寝起きのコンディションによってペンの重さが変わります。眠りの質が悪く、憂鬱な気分で目覚めたり、悪い夢の途中だったりすると、集中できる状態になるまで少し時間がかかります。寝起きのコンディションがジャーナリングに影響を与えてしまうんです。
しかし…哲人皇帝マルクス・アウレリウスなら、こんな弱々しい言葉は決して口にしなかったでしょう。彼は10代の頃、哲学に傾倒し始めると、粗末な哲学者風の衣服で過ごし始め、さらにギリシア的鍛錬法を実践。母親から注意されるまでベッドではなく地面で寝ていたといいます。地面です!私は地面で眠ることはできませんが、ストア派の教えを生活に活かすため、ジャーナリングによる自己省察の時間を少しでも充実させようと、、ベッドのマットを新調しました。目覚めの状態が良くなり、ペンの走りは快調です。哲人たちには物足りないと言われそうですが、これも私なりのストア派の実践です。