私は今、自分の魂で何をしているというのか? 自分自身を問いただし、その心に何が住んでいるのか、そしてどんな魂を持っているのかを訊くのだ。子供の魂か、若者の魂か、女性の魂か?暴君の魂なのか?捕食者の魂なのか?それともその獲物の魂なのか?ーマルクス・アウレリウス『自省録』
What am I doing with my soul? Interrogate yourself, to find out what inhabits your so-called mind and what kind of soul you have now. A child’s soul, an adolescent’s, a woman’s? A tyrant’s soul? The soul of a predator—or its prey? – Meditations: Marcus Aurelius
「私は今、自分の魂で何をしているというのか?」
この問いは、私たちの内なる世界に目を向けるよう促しています。日々の行動や決断の奥底にある、本当の自分の姿を見つめ直せ、というのです。
マルクス・アウレリウスは続けて、より具体的な問いを投げかけます。「自分自身を問いただし、その心に何が住んでいるのか、そしてどんな魂を持っているのかを訊くのだ。」
私たちの心の中には、様々な感情や欲求、価値観が混在しています。さらに彼は、具体的な例を挙げて問いかけます。「子供の魂か、若者の魂か、女性の魂か?暴君の魂なのか?捕食者の魂なのか?それともその獲物の魂なのか?」
これらの比喩は、私たちの内なる性質や行動パターンを象徴しています。時に私たちは、無邪気な子供のように振る舞い、また時に権力に飢えた暴君のように振る舞うかもしれません。あるいは、常に他者を利用しようとする「捕食者」や、逆に常に他者に利用される「獲物」のような心理状態に陥ることもあるでしょう。
彼がここまで広く自分の魂が存在する場所の可能性を考えることができるのは、常日頃から高い視点で自分の世界を見る習慣があるからです。
マルクス・アウレリウスのように、自分の行動や感情の源泉を探り、自分の魂が今どのような状態にあるのかを見つめ直しながら、自分の現在位置を確かめることができたのは、「考え、書き、行動する」という深い自己省察を継続して行ってきたからでした。
その記録が『自省録』であり、私たちがストア派の実践としてツールを使いながら自己省察を続けていく理由もここにあるのです。
121年4月26日、ローマの地に誕生したマルクス・アウレリウスは、後にローマ帝国の第16代皇帝となり、善政を行った五賢帝の最後の皇帝として名を馳せます。現代の我々から見ると、彼は優れたリーダーシップと深い自己省察を兼ね備えた稀有な存在です。彼が残した『自省録』は、戦場や宮廷の喧騒の中にありながら、自身のストア哲学実践のために綴られ続けたものです。その思想と行動を、後に多くの歴史上の偉人やリーダーたちが手本とした人物としても広く知られています。
あなたは朝派?夜派?
あなたのジャーナリングの時間は朝ですか?夜ですか?私は起きてすぐの、早朝派です。思考に雑念が入り込む前の、澄んだ意識の状態を狙って書き始めると、ペンがよく走ります。
ただ私の場合、寝起きのコンディションによってペンの重さが変わります。眠りの質が悪く、憂鬱な気分で目覚めたり、悪い夢の途中だったりすると、集中できる状態になるまで少し時間がかかります。寝起きのコンディションがジャーナリングに影響を与えてしまうんです。
しかし…哲人皇帝マルクス・アウレリウスなら、こんな弱々しい言葉は決して口にしなかったでしょう。彼は10代の頃、哲学に傾倒し始めると、粗末な哲学者風の衣服で過ごし始め、さらにギリシア的鍛錬法を実践。母親から注意されるまでベッドではなく地面で寝ていたといいます。地面です!私は地面で眠ることはできませんが、ストア派の教えを生活に活かすため、ジャーナリングによる自己省察の時間を少しでも充実させようと、、ベッドのマットを新調しました。目覚めの状態が良くなり、ペンの走りは快調です。哲人たちには物足りないと言われそうですが、これも私なりのストア派の実践です。