Email-マルクス・アウレリウス

もうたくさんだ。こんな惨めでブツブツ言ってばかりの猿のような生き方は…

もうたくさんだ。こんな惨めでブツブツ言ってばかりの猿のような生き方は。何が問題なのだ?何か新しいことがあるのか?何に驚いているのだ?目的か?見てみよ。材料なのか?それも見てみよ。それだけのことなのだ。しかし、神々についてはどうだ。もっと純粋に、優しくなろうとすることができる。今からでも。100年であろうと3年であろうと、違いはないのだ。ーマルクス・アウレリウス『自省録』

Enough of this wretched, whining monkey life. What’s the matter? Is any of this new? What is it you find surprising? The purpose? Look at it. The material? Look at that. That’s all there is. And the gods? Well, you could try being simpler, gentler. Even now. A hundred years or three…. No difference. – Meditations: Marcus Aurelius

人生に疲れ果て、日々の不満や不安に押しつぶされ、もうクタクタだ…マルクス・アウレリウスも同じように感じていたのかもしれません。

「もうたくさんだ。こんな惨めでブツブツ言ってばかりの猿のような生き方は。」

この言葉は彼自身に向けられたものですが、私たちの日常的な愚痴や不平不満を鋭く指摘しています。毎日の些細な出来事に一喜一憂し、不満を口にする自分の姿が思い浮かぶはずです。

マルクス・アウレリウスは続けて問いかけます。「何が問題なのだ?何か新しいことがあるのか?何に驚いているのだ?」

この問いは、多くの悩みや不安が実は新しいものではなく、堂々巡りの問題であることを示唆しています。私たちは往々にして、日々の出来事を過大に評価し、必要以上に驚いたり動揺したりしがちです。

しかし、彼はここで別の視点へ移ります。「目的か?見てみよ。材料なのか?それも見てみよ。それだけのことなのだ。」

この言葉は、物事をより客観的に、冷静に見ることの重要性を教えています。問題に直面したとき、その本質は何か、どのような要素で構成されているのかを冷静に分析することで、より適切に対処できるのです。

そして最後に、彼は自分自身へも、私たちにも希望を与えます。「しかし、神々についてはどうだ。もっと純粋に、優しくなろうとすることができる。今からでも。100年であろうと3年であろうと、違いはないのだ。」

ここで言う「神々」とは、ストア派の思想における自然や宇宙を指します。心の持ちようを変えて世界を見ることは、今からでも決して遅くはなく、かける時間の長さも関係ありません。しかし、人生の風景は大きく変わるのです。

この言葉は、私たちがいつでも変われること、より良い自分になれることを教えています。年齢や状況に関係なく、今この瞬間から、より純粋に、より優しく生きることができるのです。

今日から、日々の些細な不満にとらわれるのではなく、物事を冷静に見つめ、自分自身をより良くしていく努力をしてみませんか?マルクス・アウレリウスは、それが実現可能であることを伝えてくれているのです。 

参考文献

マルクス・アウレリウスとは?

121年4月26日、ローマの地に誕生したマルクス・アウレリウスは、後にローマ帝国の第16代皇帝となり、善政を行った五賢帝の最後の皇帝として名を馳せます。現代の我々から見ると、彼は優れたリーダーシップと深い自己省察を兼ね備えた稀有な存在です。彼が残した『自省録』は、戦場や宮廷の喧騒の中にありながら、自身のストア哲学実践のために綴られ続けたものです。その思想と行動を、後に多くの歴史上の偉人やリーダーたちが手本とした人物としても広く知られています。

 

あなたは朝派?夜派?

あなたのジャーナリングの時間は朝ですか?夜ですか?私は起きてすぐの、早朝派です。思考に雑念が入り込む前の、澄んだ意識の状態を狙って書き始めると、ペンがよく走ります。

ただ私の場合、寝起きのコンディションによってペンの重さが変わります。眠りの質が悪く、憂鬱な気分で目覚めたり、悪い夢の途中だったりすると、集中できる状態になるまで少し時間がかかります。寝起きのコンディションがジャーナリングに影響を与えてしまうんです。

しかし…哲人皇帝マルクス・アウレリウスなら、こんな弱々しい言葉は決して口にしなかったでしょう。彼は10代の頃、哲学に傾倒し始めると、粗末な哲学者風の衣服で過ごし始め、さらにギリシア的鍛錬法を実践。母親から注意されるまでベッドではなく地面で寝ていたといいます。地面です!私は地面で眠ることはできませんが、ストア派の教えを生活に活かすため、ジャーナリングによる自己省察の時間を少しでも充実させようと、、ベッドのマットを新調しました。目覚めの状態が良くなり、ペンの走りは快調です。哲人たちには物足りないと言われそうですが、これも私なりのストア派の実践です。