Email-マルクス・アウレリウス

われわれの行動が阻まれることがあるかもしれない。しかし、われわれの意図や心構えが阻まれることはない…

われわれの行動が阻まれることがあるかもしれない。しかし、われわれの意図や心構えが阻まれることはない。なぜなら、われわれは苦境に合わせて順応し、適応することができるからだ。私たちの精神は、行動の妨げになるものを、目的の達成に役立つものへと変えてしまう。行動の妨げとなっていたものが、行動を促してくれるのだ。道をふさいでいたものが、新たな道を指し示すのだ。ーマルクス・アウレリウス『自省録』

Our actions may be impeded by them, but there can be no impeding our intentions or our dispositions. Because we can accommodate and adapt. The mind adapts and converts to its own purposes the obstacle to our acting. The impediment to action advances action. What stands in the way becomes the way. – Meditations: Marcus Aurelius

あなたはこれまでの経験や知識を盛り込んで、熱心に計画を練ったことがあるはずです。自信たっぷりだった計画がうまくいかず、頭を抱えて放り投げたくなったこともあるかもしれません。

人生には予期せぬ障害や挫折がつきものです。計画通りに物事が進まず、目標への道のりが阻まれることがあります。そんな時、あなたはどのように対応していますか?諦めてしまいますか?それとも、別の方法を探しますか?

マルクス・アウレリウスは、こうした状況に直面した時の心構えについて、こう言っています。「われわれの行動が阻まれることがあるかもしれない。しかし、われわれの意図や心構えが阻まれることはない。」

この言葉は、外的な障害が私たちの内なる決意を揺るがすことはできないという強い信念を表しています。たとえ計画が狂っても、私たちの目標に向かう意志は変わらないのです。

マルクス・アウレリウスは続けて言います。「なぜなら、われわれは苦境に合わせて順応し、適応することができるからだ。」これは、人間の持つ素晴らしい適応能力を示しています。私たちには、困難な状況を乗り越え、新しい方法を見出す力があるのです。

さらに彼は、こう述べます。「私たちの精神は、行動の妨げになるものを、目的の達成に役立つものへと変えてしまう。行動の妨げとなっていたものが、行動を促してくれるのだ。道をふさいでいたものが、新たな道を指し示すのだ。」

この教えは、障害を単なる問題としてではなく、成長と創造の機会として捉え直すよう私たちに促しています。私たちの心の持ち方次第で、障害は新たな可能性を開く扉となり得るのです。

今日から、人生の障害や挫折に遭遇した時、それを単なる妨げとして見るのではなく、新たな機会や学びの源として捉えてみませんか?困難に直面した時こそ、自分の適応力と創造性を信じ、新たな道を見出す機会だと考えてみてください。

人生の道を歩む中で、行動が阻まれることは避けられません。しかし、あなたの意図や心構えまでが阻まれることはありません。道を阻んでいるものが、新たな道を示してくれます。そのために必要なことは、あなたの心の中にある力を信じることなのです。

参考文献

マルクス・アウレリウスとは?

121年4月26日、ローマの地に誕生したマルクス・アウレリウスは、後にローマ帝国の第16代皇帝となり、善政を行った五賢帝の最後の皇帝として名を馳せます。現代の我々から見ると、彼は優れたリーダーシップと深い自己省察を兼ね備えた稀有な存在です。彼が残した『自省録』は、戦場や宮廷の喧騒の中にありながら、自身のストア哲学実践のために綴られ続けたものです。その思想と行動を、後に多くの歴史上の偉人やリーダーたちが手本とした人物としても広く知られています。

 

あなたは朝派?夜派?

あなたのジャーナリングの時間は朝ですか?夜ですか?私は起きてすぐの、早朝派です。思考に雑念が入り込む前の、澄んだ意識の状態を狙って書き始めると、ペンがよく走ります。

ただ私の場合、寝起きのコンディションによってペンの重さが変わります。眠りの質が悪く、憂鬱な気分で目覚めたり、悪い夢の途中だったりすると、集中できる状態になるまで少し時間がかかります。寝起きのコンディションがジャーナリングに影響を与えてしまうんです。

しかし…哲人皇帝マルクス・アウレリウスなら、こんな弱々しい言葉は決して口にしなかったでしょう。彼は10代の頃、哲学に傾倒し始めると、粗末な哲学者風の衣服で過ごし始め、さらにギリシア的鍛錬法を実践。母親から注意されるまでベッドではなく地面で寝ていたといいます。地面です!私は地面で眠ることはできませんが、ストア派の教えを生活に活かすため、ジャーナリングによる自己省察の時間を少しでも充実させようと、、ベッドのマットを新調しました。目覚めの状態が良くなり、ペンの走りは快調です。哲人たちには物足りないと言われそうですが、これも私なりのストア派の実践です。