人間を動揺させるのは、出来事そのものではなく、それに対する見方である。例えば、死は恐ろしいものではない。もし本当に恐ろしいものであったなら、ソクラテスも恐ろしいと感じたことだろう。死が恐ろしいという死についての見方、これが恐ろしいのである。
私たちは、邪魔をされたり、心を乱されたり、悲しませられたりしたときに、決して他者を責めてはいけない。そうではなく、私たち自身、つまり私たち自身の見方を責めるべきである。- エピクテトス『要録』
Men are disturbed not by the things which happen, but by the opinions about the things: for example, death is nothing terrible, for if it were, it would have seemed so to Socrates; for the opinion about death, that it is terrible, is the terrible thing.
When then we are impeded or disturbed or grieved, let us never blame others, but ourselves, that is, our opinions. – The Enchiridion of Epictetus
エピクテトスは、起こった出来事そのものではなく、それに対する私たちの見方や思いが私たちを動揺させると言っています。
死そのものが恐ろしいのではなく、「死が恐ろしい」という見方が恐ろしいのだと。
困難や不安に直面したとき、他者を責めるのではなく、自分自身の見方や捉え方を見直すことで、より自由で安定した心を持つことができると彼は説いています。
しかし、実際に自分や家族が重い病気や死に直面するような災害や事故に遭ったとき、私たちは安定した見方を保つことができるでしょうか。
私自身は、まだ自信がありません。それでも、この思考を持って毎日を生きることには得難い価値があります。同じ辛い経験が巡ってくるなら、少しでも自分を見失わず、最善の方法をその場で選べるように自分を成長させることができるからです。
こんなふうに書くと、エピクテトス先生に叱責されそうですが、これが私の正直なところです。
エピクテトスは紀元後50年頃、現在のトルコにあたるヒエラポリスで奴隷として生まれました。生まれながらの身分や、足に障害があるなど過酷な境遇にもかかわらず、彼はストア派哲学の偉大な思想家へと成長しました。彼の教えは、後に皇帝マルクス・アウレリウスに深い影響を与え、『自省録』の中で何度も言及されています。奴隷に生まれ、時の最高権力者の精神的指導者となったエピクテトスの人生は、運命の劇的な逆転を体現しています。彼の教えの記録『人生談義』は、困難な状況にあっても内なる自由を保ち、幸福を追求する方法として、今なお多くの人々に読まれ続けています。
自分の体質の傾向を詳細に知った上で健康管理ができることです。ストア派の実践は健康管理と両輪です。私もこの検査によって健康意識が一段上がりました。共に、幸せと本当の自由を手に入れるために進んでいきましょう。
エピクテトスは、健康を外的なものとして捉え、完全にコントロールできるものではないと考えました。しかし、健康的な生活習慣を維持することは個人の責任であると教えています。2000年前と違い、私たちに少しだけ有利なことは、今は